【戦後と吉田温泉】亡き父親(店主)の話では、
終戦で、戦争から沼津に帰ってきた祖父は、焼けてしまった沼津の街と、焼けてしまった吉田温泉を見ることになったらしい。二度と焼けてなくならないようにと、現存する吉田温泉建物をコンクリートで建てた。当時1950年昭和25年、コンクリート建物は、駅近くの銀行(現在の静岡中央銀行あたり)と吉田温泉のふたつだけ、だったらしい。その後、銀行は新しいビルに。
【古くて新しい 場所】2016年、その吉田温泉の建物は、公衆浴場としての営業を終了し、現在まで、地域で活動するアーティストや、文化的な活動をしている様々な人に、新しい使われ方をしている。
【文化の集まる場所】今年2025年令和7年GWに4年目となる文化催事、今年のテーマ「民草の文化で湯を沸かせ」(画像=会場の様子)は、庶民の文化の火が、消えてなくならないように、と願いがこもっている。誰でもどなたでも、たとえ声が小さくても意見が言える場所、文化の集まる場所を目指したい。
【みんながともだち】沼津のよいところおしえて コーナーに、「みんながともだちのぬまづ」という書き込みがあった。誰もが、孤独でなく、平等感を持って、ともだちでいられる沼津をつくるには、みんなでどうしていこうか。

最近、文化がある場所がだんだん増えてきて、すごくうれしい。

戦後80年というが、私たちの文化と暮らしの環境は、よくなったのだろうか

ご拝読、ありがとうございます。
イベントのお礼参りも続行中。
また、会いましょう。
吉田温泉/管理人/兼子

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152 いいね! ('25/08/25 01:00 時点)